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■機械時計以前

「一年は何日なのか」という素朴な問題を古代の人たちは太陽・月・星などを基準として知り、やがてその目盛 りとして暦や時計が作られるようになりました。

■日時計

古い歴史を持つ日時計は、地面という文字盤に影という針で時刻を指し示しています。古代エジプト文明ではすでに日時計学が扱われており、オベリスクと呼ばれる方位碑のモニュメントを建て、陰の長さや方向から太陽時を規定していました。
バビロニア文明ではその計算術により正確な日時計を持っていたようです。現在貴重な文化遺産として残っているピラミッドやストーンヘンジなども時間を計るものとして作り出されたという説もあります。

■火時計

火時計は、物の燃焼で時を示します。火を灯すことからとりわけ夜間用に使われて中世のフランスに広く普及しました。ルイ聖王が十字軍の遠征に携帯して幕舎の中で用いたことも有名です。
また、ろうそくの他にも灯油ランプを用いたものもあり、油槽が透明であれば目盛りを記すことで時計になりま した。西洋だけでなく中国でも線香は火時計としても使われていました。短い時間なら棒状、長い時間なら螺旋状の物があり、日本にも伝わってきておりその記録も残っています。

■水時計

時計の長い歴史の中、水時計は非常に重宝されて来ました。水時計は古くは古・バビロニア時代でも使われており中国の古文書にも水時計の記述がみられます。水時計は主に短い時間を計るものとして、特に法廷においての弁論時間として用いられました。ローマ時代の皇帝たちもいろいろな仕掛けや素晴らしい装飾がなされた水時計を好んで用いていた様です。
もともと砂時計は水時計をヒントに作られた物で、いわば砂時計のルーツと言って良いでしょう。

■そして機械時計へ

日時計や砂時計といった物は自然現象を利用した時計です。それゆえに馴染みやすい反面、正確さの面ではどうしても不利になってしまいます。より正確さを求める人間にとって自然時計ではすでに限界がきていました。
そこで自然時計に取って代わったのが機械式時計と呼ばれるものです。機械式時計が発明されたのは西暦1300年頃おそらくイタリアの修道院と考えられています。初期の物は歯車や振り子の原理を使った物で、棒にかけられた重りの位置によって進み遅れを調節していました。
また、これらの機械時計には必ず鐘が付いており自動的にこれを打って時を知らせました。
もともと機械時計という物は鐘を打って時を知らせるために作られた装置でした。英語で時計を表す「clock(クロック)」という言葉はラテン語の鐘を意味する「clocca」に由来しています。 

■機械時計の発展

ゼンマイの発明によって時計技術はおおきな変革期を迎えました。ゼンマイ駆動の時計は、16世紀に鉄砲鍛治の多かった南ドイツ等で作られる様になりました。ここで培われた技術は後の時代の置時計や懐中時計だけでなく、最も精度を必要とするマリンクロノメーターにまで応用されました。

■日本の機械時計「和時計」

日本では最初、中国の暦を取り入れ江戸時代になると日本人の手で暦が作成される様になりました。当時の暦は月の満ち欠けを中心的な基準とする太陰太陽暦で、かなり複雑なものでした。
日本の時計の歴史は、『日本書紀』に記されている天智天皇の漏刻(水時計)にはじまります。機械時計は室町時代末頃からキリスト教とともに伝来しその後、江戸時代になり、わが国でも独自の時計 「和時計」がつくられるようになりました。

日本に渡来した最初の機械時計は、天文20年(1551年)、宣教師フランシスコ・ザビエルによって、周防の国 (現在の山口県)の領主であった大内義隆に献上されたものと言われています。江戸時代に入り、外国から輸入された機械時計を参考にして、工芸的な時計が多く作られるようになり、これは「和時計」と呼ばれ、日本独特の時計になりました。
それは、「不定時法」と云う時刻表示を用いた時計です。不定時法とは、欧米が用いていた「定時法」と違い、日出と日没によって昼と夜に分け、それぞれを6等分する時刻表示方法です。時刻と太陽の位置は一致しますが、夏の昼の時間は長く、夜の時間は短くなるなど、季節によって時間の長さが変化します。江戸時代は「時計師」と呼ばれる技術者を多く輩出しました。江戸初期では津田助左衛門、中期では幸野吉郎左衛門、廣田利右衛門、後期では田中久重、大野規周が有名です。彼らは幕府のお抱えの時計師として和時計を製作しました。

田中久重は「からくり儀右衛門」の名でも知られており、沢山のからくりを作成しています。大名などごく一部の人たちが使ったと考えられる和時計には櫓時計、尺時計、枕時計などがあり、櫓時計では時打ち、目覚、暦日装置などの複雑な機構を持ち、技術的にも高度な機械と云えます。明治6年太陽が採用され、和時計は姿を消し、これに代わり、西洋の時計が国内に入ってきました。

■現在の機械時計

時計は、長い期間にわたる多くの人々の究心と努力のおかげで、きわめて完成度の高い機械となりました。その種類は、柱時計・腕時計・目覚まし時計・置き時計・電光掲示の時計やからくり時計等沢山の種類があり、現在、そのほとんどが水晶式の電子時計となっています。

日本のからくり人形は、江戸時代中期の「からくり人形」と呼ばれる「自動人形」として登場して来ました。日本のからくり人形の源流は宝町時代後期に渡来して来たフランシスコ=ザビエルなどキリスト教の宣教師が持ち込んだヨーロッパの機械時計の影響を強く受けている事が、体の仕組みを調べていくとよく判ります。ほぼ同じ時期に登場したヨーロッパのからくり人形「オートマタ」も、日本のからくり人形と同じく時計の技術を応用して複雑な人形の動きを実現しています。


両方のからくり人形に時計の技術が応用されていると言う事実は、それを作成出来る技術者が当時、最高の技術力を持っていた時計職人だったと言う事が伺えます。登場当初のからくり人形は大変な高級品であり当時の権力者や王侯貴族の嗜好品であり、現在のように一般に目にする機会はあまりありませんでした。


双方のからくり人形の違いでもっとも大きい差は、その「動き」にあります。西洋の自動人形が、人間の動作を出来るだけ正確に表現しようとしているのに対し、日本のからくり人形は、“能”の影響を受け抽象化された動きで表現しています。日本のからくり人形は、無表情な能面が能舞台の上で、「喜怒哀楽」の感情をかすかな動きの中で表現する様に抽象化された動きで感情表現をしています。日本のからくり人形は、大別すると「山車からくり」と「座敷からくり」の二種類があり、その精巧な機構は二百年の昔に完成された世界でも類のない“木製”のロボットと言えるでしょう。
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